もんじゅ西村・殺ハラ裁判 日本JAEAの黒い霧 6
※ 西村事件 ≈ 下山事件
西村事件は更に東京都監察医務医(大野曜吉)が付加された。
※下山事件とは 、 日本が連合国の占領下 にあった1949年
( 昭和 24年) 7月5日 朝、 国鉄 総裁 ・ 下山定則 が
出勤途中に 失踪 、翌 7月6日 未明に 轢死体 で発見された事件。
事件発生直後から マスコミ では 自殺 説・ 他殺 説が入り乱れ、
捜査に当たった 警視庁 内部でも 捜査一課 は自殺、捜査二課は...各自調査
三鷹駅事件、松山事件が続いた。
動燃では、もんじゅ事故の1年後、東海事業所の固化施設爆発事故が起きた。
6警察と機構の発表「西村飛び降り自殺事件」と事実関係確認
①中央署の発表、元動燃の発表、新聞記事。
キーワード 有無
科技庁で記者会見後からホテルへ
敷地で遺体になるまでの足取り X
ホテルにチェックイン 宿帳 X
ホテルで受信したFAX5枚 X
ホテルでの遺書の筆記用具(ボールペン、万年筆) X
ホテル敷地の遺体発見時の全着衣(全下着・全上着) X
② 中央署員らが撮影した遺体の写真
・ホテルの敷地内(駐車場)に斜めに担架が置かれ、担架上に強度に
硬直した西村の遺体が俯せに載せられ、顔は真下に向いた状態を
撮影していた。
・遺体は俯せという異様な映像で、(救命 気道確保?)
スーツの上下の背面に鍵裂きがあり、
左腕に腕時計をし、靴は担架の両側に人為的にひっくり返し配置し、
血液は担架や遺体が撮影された敷地内等に写っていなかった。
③ 物理学(自由落下の法則 、高校生で学習する)から計算。
センターホテル東京非常階段(8F)からコンクリート地面に
落下した時のエネルギー U
U=高さ・重さ・G=30m・70㎏・9.8=20580
20t超の重力が人体に負荷したことになる。
➃ 法医学(深部体温の低下と死亡推定時刻)
聖路加国際病院 深部体温測定 1月13日AM6:50 27℃
法医学書 南山堂 「検死ハンドブック」出典
深部体温から死亡推定時刻を計算
死後経過時間= {(37-27)÷0.83}×0.7=8.4Hr
1996.1.12 23時頃
記者会見(科技庁)1996年 1月12日 22:05頃終了
死亡事件発生 1996年 1月12日 23時頃
科技庁での記者会見直後、西村は殺害されていた計算になる。
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